ホワイト牧師とブラック牧師

天使の心だけでは疲れ過ぎるかも!

面倒くさい人

小さな子どもが石につまづいて 転んで泣いているときに、


「この石が悪いからね。石が悪いからね。」と言って慰めることは


よくあるのかもしれません。


でも、多く成長した子どもが、何かの(出来事)につまづいて


悩んでいる時に、「あなたは悪くないからね。悪いのはあなた以外なのよ」


と言う親がいる。


そんな親の子どもは、どんどん悪い方向に向かう。


引きこもったり、友達がいなかったり、学校でもめたり、怒ったり、暴れたり…


でも、「あなたは悪くない、悪いのは別にある」と聞き続けているので、


自己解決能力が極めて低くなるし、自分を顧みない立派な大人になってしまう。


そこに悲劇があるような気がする。



子どもが狂暴になり、手が付けられなくなって、


相談に来られる。


ホワイト牧師として話を聞き続けるけれど、問題の所在はどうもはっきりしていて、


子どもではなく、「むしろお母さん、あなたですよ。」と言いたいけれど、


じっと耐えて聞いていると、ホワイトがどんどんブラックになっていって、


こっちが爆発しそうになって、しまう。


ブラック牧師が耐えられず、お母さんに意見すると、お母さんの顔が歪んで


あなたは息子の思いを少しも分かっていない、などと言われてしまう。


そうならないように、と思うけれど、あ~、イラつく!


俺だって人間だ。「ふざけるな、あんたが悪いんだ!」と叫びたくなる。


子どもだって、被害者だよ!

腹痛について

食事の後、腹が痛くなり、トイレに駆け込む。


自分の意識にあるのは小学校2年生位の時か。


給食を食べて、音楽の時間、先生に小声でトイレに行きたいと言って


行かせてもらったことを覚えている。


その時依頼、一体辛い5時間目があっただろうか。


小学校、中学校、高校に入ってからは弁当を食べないと決めて


過ごした一年間もあった。


食べないほうが、腹痛の心配から解放されるからだ。


それから数十年。


自分はいつか、この腹痛で死ぬのだろうと覚悟して


生きてきた。


因みに、病院で調べてもなんの問題もない、と言われ続けている。


身体の中に、悪魔が一匹いて、その悪魔が胃にいると腹痛。


心臓にいると不整脈


頭にいると頭痛


肺にいると過呼吸


皮膚にいるとアレルギー


になるのかな?


と思っている。このお陰で、たった一つ良いことは



忍耐力が付いた、位かな(#^.^#)

4日前のコーヒー牛乳

綺麗なペットボトルのコーヒー牛乳を買って、


念のため、キチンとカップに入れ替えて、飲んで、


でも飲みきれないので、5分の1位残したまま放置。


そのまま4日、部屋においたまま、のどが渇いたので




危険な香りを感じつつ、リスクを恐れながらも、ついゴクリ


それから、一時間も経たない内に、お腹が痛くなり


その夜、と次の日の朝と、昼、何を食べても、腹痛と共に


ネイチャーコールに襲われました。


腹痛は、日常茶飯事で、月の半分ぐらいは、それによって


「自然に呼ばれる」のです。


とはいえ、梅雨の時期ですから、当たり前で、まさに自業自(損!)



いつものことながら腹痛から生涯解放されないのだろうか。


こんな思いをしている人って、どの位おられるのでしょう。


因みに、これで病院にかかったことはありません。


だって、きっとなんともないですよって言われるでしょうから。ハァ


いつか腹痛同好会会長に就任したいほどです。